2005.09.22
元副総理の後藤田正晴氏が亡くなった。以下、asahi.comより
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19日、死去した後藤田正晴氏(91)には、二つの顔があった。警察官僚トップ出身で「カミソリ」と恐れられる一方、晩年は、憲法改正や自衛隊の海外派遣に慎重なハト派保守政治家の代表的存在だった。戦争体験を持たず、改憲を志向する若手政治家が与野党を超えて増える中、後藤田氏の死去は政治家の世代交代を改めて印象づけた。
「国民全体が保守化し、政治家がナショナリズムをあおる。大変な過ちを犯している。アジア近隣諸国との友好こそが大事なことだ」
今年7月、朝日新聞のインタビューに応じた後藤田氏は、小泉首相の靖国神社参拝を機に近隣諸国との関係が揺らいでいることを危惧(きぐ)した。
40年に陸軍に入り、主計将校として台湾で終戦を迎えた。戦争体験に基づく「非戦」の思いが、後に安保・防衛政策で穏健な立場を主張する原点だった。
「戦争の覚悟はあるのか。私はサインしない」。87年には、ペルシャ湾に海上自衛隊の掃海艇を派遣しようとした中曽根首相に、そう迫り断念させた。96年の朝日新聞紙面では「武力によって他国民、他民族を従わせることはできない。ぼくは加害者の立場の経験を持っているから」と語っている。
復員後、内務省に復職。警察畑を歩み、警察庁長官時代、よど号ハイジャック事件や連合赤軍のあさま山荘立てこもり事件などを処理した。72年、田中内閣で官僚組織トップの官房副長官に就き、その後、政界に身を投じた。
96年の政界引退後も積極的な発言を続けた。かつて仕えた中曽根氏が会長を務める世界平和研究所が今年1月、独自の憲法改正案を発表すると、「自衛隊の国際活動を認めるならば、海外で武力行使はしないことを明記してもらいたい」と注文をつけた。
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私は戦争体験はもちろんないが、父親は大正生まれで軍隊にも入っていた。それ故、後藤田さんと同じように二度と戦争はしてはいけない、戦争は我々が想像以上に悲劇的なものだということを小さいときから言われ続けて育った。今、50歳以下の人の親は、ほとんどが戦時中未成年で、自分たちが戦争をやったという意識がないのではないだろうか?もちろん、勤労動員等で、戦時下に育ったことは事実だろうが、主体として戦争を戦ったという意識に乏しいのではなかろうか?
そうした世代の子供たちは、戦争の本当の姿を伝え聞いていないのではないだろうか。そんな世代が政治の中心を占めるようになってきた昨今の日本で、改憲や集団的自衛権の容認の声が出るのは当然とも言えるが、直接伝え聞かなくとも、過去の歴史を真摯に学び、いろんな資料に触れることでも、「非戦」の気持ちは持てるのではないだろうか。
TBSの「ニュース23」では、後藤田氏の過去のインタビューを流していた。その中で、氏は若手の政治家を評して“情緒的すぎる”といい、“付和雷同”だと語っていた。それは何も政治家だけでなく、国民全体がそうなってきているような気がする。
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2005.09.18
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前原・民主代表「憲法改正で自衛権明記を」
民主党の前原代表は17日の記者会見で、憲法9条の改正について、「私の意見は(戦争放棄をうたった)第1項はいいが、(戦力保持と国の交戦権を認めない)2項は削除して自衛権を明記するということだ。党内議論を進めたい」と述べ、自民党などと協議を進める考えを明らかにした。
(2005年9月18日1時45分 読売新聞)
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民主党の新代表が、早くも憲法改正に触れる発言をしている。
「戦争放棄」はいいが「戦力不保持と交戦権の放棄」はダメだということだが、「戦力不保持」を憲法で謳わない限り際限なく戦力の増強に走ってしまう可能性があり、また、他国からも信頼されないということを理解していない。
まして、憲法改正の発議に必要な2/3の議席を自民党が衆議院で握ってしまったときに、こうした発言をすることで、ますます自民党を勢いづけさせてしまうのではないかと不安になる。
もともと民主党は、右から左までいろんな議員がいて、旧社会党系等憲法9条擁護の勢力がいる一方で、日の丸を掲げて尖閣諸島に乗り込むような議員もいる。東京都で国旗と国歌の斉唱を強く推進し、反対する教員を弾圧しているのも民主党だ。こんな判りにくさが今回の総選挙の敗因になったと思っているのは、私だけだろうか?
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2005.09.17
およそ7ヶ月ぶりのプログ再開です。デザインも変えてみました。
この間、仕事が多忙だったこともありますが、世の中にプログがあまりにも広まり、ある種の世論を形成するまでになっていますが、かつての“2ちゃんねる”のように、世論が偏った方向に一気に流れる道具となっているような気がして書き込みを控えていました。
ブログは、誰にも干渉されずに自分の思いを素直に表現できる手段であると思っています。
自分が感じたときに、感じたままに、書き込んで行きたいと思っています。
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2005.02.06
昨晩のNHKスペシャル「フリーターの漂流」を見ました。前にも触れた山田昌弘著『希望格差社会』に書かれていた日本社会の現実が、浮き彫りにされた番組だったと思います。親にパラサイト(寄生)していたり、夢や希望を実現するために一時的に働いているというある種の“言い訳”をしている人も出ていましたが、これらもまさにこの本に書かれていたとおりでした。
製造業だけで100万人もフリーターを雇用し、請負会社を通したフリーターの活用で今の日本の産業が成り立っているということは事実ですが、テレビにも出ていたように、中にはすぐ短気を起こしてそうした世界にも溶け込めなかったり、35歳を過ぎてフリーターをせざるを得ない人もいるという現実は、やがてこれらの人たちが日本社会の中で“不良債権化”する、というこの本の指摘にも肯かざるを得ない気がしました。
こうしたフリーターの利用による日本経済の競争力維持ばかりに目を向けていると、やがて貧富の格差が拡大して社会が荒廃してしまうのではないでしょうか。
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2005.01.29
asahi.comから
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「楽書き」「電園地帯」……子どもの苦手な漢字くっきり
落書きを「楽書き」、人に仕えるを「使える」――。文部科学省所管の財団法人「総合初等教育研究所」(岐阜県)は27日、小学校で学ぶ漢字がどれだけ身についているかの全国調査結果を公表した。全学年を平均した正答率は、読みが89%で、書きは72%。ただ、学年が進むにつれて習得状況が低下する傾向が示され、小6で学ぶ漢字では正答率が80%に達した字は全体のわずか16%だった。同研究所は「学校は、児童一人ひとりの漢字学習の状況を次の学年にきちんと引き継ぐなどの工夫が必要だ」と提言した。
(中略)
間違いを類型化すると、読みでは音訓の取り違えが各学年とも2割前後にのぼった。例えば、4年字の「米作農家」を「こめ作」と読んだ子どもが74%いた。
また、書きでは音が同じ字を誤用するケースが目立ち、特に高学年で3割近くに達した。3年字の「すずしい木かげ」を37%が「小かげ」と書いたケースなどがあった。全学年を通じて、点の位置や「はね」など、字形をあいまいに覚えている傾向が強く、誤答の2~3割を占めた。
ほかに、「楽(落)書き」(33%)、「電(田)園地帯」(34%)、「積乱運(雲)」(29%)などの珍回答もあった。
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ちょうど今、三浦展著『ファスト風土化する日本』という本を読んでいる。この本は、のどかな田園風景が広がっていた地方の田舎に高速道路や新幹線が通り、大型ショッピングセンターやロードサイド店が出来て24時間営業するようになったことが、地方の家族の繋がりやコミュニティーを破壊し、その結果が子供の連れ去りや子供による殺人事件などの殺伐とした事件が地方で増えている原因ではないか、ということを書いている本である。
小学生で「田園地帯」を「電園地帯」と間違える子が多いというのも、“田”んぼがなくなってヤマダ電機やコジマなどの大型“電”器店が林立する、という状況をまさに表現しているような気がする。
私の故郷も昔は街中のアーケードのある商店街が中心だったが、郊外にバイパスが通り、駅の裏側に太い道がつけられ、さらに県庁が郊外に移転したことで、かつては一面田んぼだった地域の様相が一変した。バイパスと駅からの太い道の交差点にはヤマダ電機があり、反対側にはコジマがある。電気製品は東京で買うよりも故郷で買ったほうが品揃えもいいし安いくらいだ。
車の交通量は多いし、それらの大型店の駐車場は休日には一杯になっている。店は結構混んでいるが、“街”として「賑やか」という表現には程遠い。店から店への移動も車だし、外を歩いている人がほとんどいないからだろう。
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2005.01.16
平成の市町村大合併によって新しい市名がいくつも誕生しているが、従来の地理の知識ではどこにあるのかわからない市が多い。例えば瀬戸内市。瀬戸内海沿岸であることは間違いないだろうが、兵庫県から山口県の山陽側か、香川県、愛媛県の四国側なのか?
雲南市、って中国の?
南砺市は、なんと読むのかな?
北杜市は北海道にあるの?
東温市と東御市は近くにあるのか?
山県市は「やまがたし」と読むらしいが、岐阜県だそうだ。また、今後新設予定の市町村では、さくら市というのもあって、これは全く既存の地名から作ったものではないようだ。
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2005.01.05
年末年始の休みに実家に里帰りしていました。実家には古い電気製品が沢山あって、まだ使っているものもあります。その一つは電子レンジ。30年くらい経っているかもしれません。最初の頃は20万円近くしたように思います。
それから、ステレオ。当時は有名だった「TRIO」のブランドです。今もあったかな?さすがにこのステレオは、テレビの台として使われているだけです。両脇の大きなスピーカーも別のところで物置台になっています。前の扉を開くと、中にはレコード・プレーヤーがあります。

他にも私が生まれる前からあった日立の冷蔵庫とか、京セラの初代のPHSもあり、これらは現役で活躍しています。コタツやオーブントースター、電気ストーブなども20年以上前のものを使っています。まるでレトロ家電の博物館のようですが、昔の家電は結構自分で修理できたりするので長持ちしますね。
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2004.12.27
山田昌弘氏の『希望格差社会』を読み終えた。随所に鋭い視点があり、納得する本である。かつて“パラサイト・シングル”という言葉を生み出した氏が、親に寄生して優雅に独身生活を謳歌するパラサイト・シングルや、夢を追い続けるための仮の姿と本人たちが思っている“フリーター”が、やがて中年となり「不良債権化」し、それらの人たちが絶望から逃避するために“アディクション(嗜癖)”や新興宗教に走り、さらには他人が同じ不幸になることを願う「エンビー型」の嫉妬心を生み、「不幸の道連れ」型の犯罪につながっている、という指摘は、的確な分析のように思える。
先日も病院で不治の病だと思った患者が、同じ病室の患者をいきなり二人も殺す事件が起こった。また、ちょっと前にあった、少女がビルから小さい子供を突き落とした事件なども、少女の家庭環境がかなり複雑だったようで、こうしたケースに当てはまっているのかもしれない。
本書の最後では、こうした社会に対する処方箋も検討されているが、切り札はないように思えた。確かに、ITの寵児や海外で活躍するスポーツ界のスターを褒め称えてグローバル化や構造改革を進めようとするだけでは、この『希望格差社会』がますます進行し、落ちこぼれる人たちを「自己責任論」で片付けるのは乱暴で、社会が不安定化することは間違いないだろう。また、高度成長期のような“オールド・エコノミー”に回帰することも鎖国するのと同じで出来ないだろう。
著者は最後に「個人的対処への公共的支援」を方向性として主張しているが、やはり国自体の進路に希望が見えるような政治が、まず必要ではないだろうか。
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2004.12.25
昨日の朝日新聞夕刊に『広がる不平等の裂け目』と題した評論が載っている。巨人の渡辺恒雄元オーナーの“たかが選手”という発言と、小泉首相の“人生いろいろ”発言が、本人たちが意図したかどうかは別として、現代社会で進行している「不平等化」を一瞬暴いた、というのである。
「たかが」と言われた選手たちは、自分の夢を実現したヒーローであると自覚していたにもかかわらず、「たかが」と一蹴された。小泉首相は、国会議員の息子という生まれつきの「幸運」で、勤務実態がなくても社員になり、厚生年金に加入できていた。こういう不平等が、近年急速に拡大しているにもかかわらず、自分なりの解釈でわが身を慰撫することで“封印”されているという。
ちょうどいま、山田昌弘氏の『希望格差社会』という本を読んでいる。氏は、90年代以降、日本社会は【リスク化】が進行し、「勝ち組」と「負け組」の格差がいやおうなく拡大するなかで「努力は報われない」と感じた人から「希望」が消滅しており、将来に希望が持てる人と、将来に絶望している人の分裂を「希望格差社会」と名付けている。
この本についての感想は、また別に書きたいが、確かに最近の信じられないような殺人事件などをみていると、アメリカン・ドリームのような大成功がある一方で、多くの国民が「絶望社会」に墜ち込み、鬱積が溜まってきているように感じられる。
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2004.12.21
先週土曜日、浅草寺の羽子板市に行ってきました。ヨン様やイチローなど話題の羽子板もありましたが、やはり本物の美しい着物を着た娘姿の羽子板がきれいでした。いくつも見て回ると、1500円位にまけてくれる羽子板と1万円以上する羽子板との違いがはっきり判ってきて、安い羽子板には目がいかなくなります。
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2004.11.28

ちょっと風は冷たいけれど、とっても良い秋晴れだったので、自転車で蘆花恒春園に行ってきました。ここは元徳富蘆花の自宅だったところを、未亡人が東京都に寄付して公園にしたものですが、環八沿いに2万坪もあります。今なら物凄い大富豪ですね。
もみじはまだほとんど色づいてなかったけれど、黄葉は鮮やかで、落ち葉も一面敷き詰めるほどでした。
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2004.10.31
昨日、東京ドームでのEAGLESのライブを見に行った。ライブに行くのは20年ぶりくらいだ。
第一部の名曲中心で、感動の1時間だったが、後半はメンバー個人の曲やハードな曲が多く、おじさんにはちょっと疲れた。圧巻はアンコール! 沢山の人がこれを聞きに行ったのだろうと思われる「ホテル・カリフォルニア」で始まり、後半のギターとベースのテクニックにはやはり鳥肌が立った。
ラストは「Take It Easy」と「Desperado」。やらないのかなぁ、と思っていたところで、最後に来た、と言う感じで興奮した。ドン・ヘンリーのヴォーカルは、やっぱり名唱!!
観客はおじさん、おばさんだけでなく、もう“おじいさん”と言えるような人もいた。わずかに来ていた子供は「孫」だろうか。
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2004.10.18
先週金曜日の朝日新聞夕刊の「窓」欄に、「全国の低学年児や幼稚園児のざっと7,8割がパパと呼んでいる」という話が載っていた。“パパ”と呼んでいると、思春期頃からうまい呼び方がなくなり、それと同時に父と子の会話が急減するらしい。
私も男女二人の子があるが、“パパ”は使わせなかった。呼ばれるこちらの方が照れくさい。自分が子供の頃は“おとうちゃん”で、中学生くらいからは“おとうさん”だった。こちらが成人してからは、“おとうさん”も気恥ずかしくなり、子供が出来ると自分の父親でも“おじいちゃん”と呼ぶようになってしまった。
偏見かもしれないが、“パパ”と呼ばせている家庭は、子供を甘やかしているようで過保護な感じもする。先の「窓」欄によれば、皇太子一家も“パパ”派らしいが...
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2004.09.23
先日からこのプログを少しだけ改造し、カウンタや時計を設置してみました。また、タイトル・バナーも自分で撮った画像を加工して貼ってみました。 この夕陽は、私の地元の金沢の海岸に沈む夕陽です。
私が子供の頃は、この海岸でも泳げたのですが、近くに金沢港が出来、長い防波堤が伸びた関係で砂浜が侵食され、波が海岸沿いの道路まで打ち寄せるようになってしまいました。最近、反対側の港から別の防波堤を伸ばし、途中まで埋め立てる計画が進んでいます。すでに半分埋まっていますが、具体的にここを何に使うか、決まっていないようです。
わずか40年くらいの間に、開発によって海岸線が何度も変わっています。子供の頃に一度だけハマグリが大量に発生した時がありましたが、もうそんなことはないかも知れません。
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2004.09.14
昭和30年代の子供のころの記憶ですが、デパートの屋上のゲームコーナーに、おみくじの自動販売機がありました。10円か20円入れると、巫女さんがおみくじを引いてきて、クルッと回っておみくじを落とし、手前に出てくるもの。結構どこにでもあったように思いますが、最近全く見なくなりました。
ネットで検索すると、大分の中津や、会津若松には今でもあるようですが、覚えている方いませんか?
(勝手にリンクはってすみません。)
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2004.09.10
最近、地震や台風、噴火と天災が立て続けに起こっている。先日の台風では厳島神社が半分崩壊したし、絵葉書などでも有名な北海道大学のポプラ並木も倒れていた。東京でも強風が吹いて、何か飛んできてぶつかるのではないかと怖い思いをした。
昔から怖いものの代名詞として、“地震・雷・火事・親父”という言葉があるが、“親父”がこのなかから落選して久しい。また、“火事”も木造建築が減少し、一方で消防技術の発達や様々な防災対策によって、昔ほどの大火は聞かなくなった。
今もし怖いものを並べるとしたら、“地震・台風・テロ・虐待”かも知れない。
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2004.09.02
先月から続いているコメントスパムに嫌気が差して、自分のプログを見る事すら、嫌になってしまっていました。今日も何件かコメントがついて、それを削除するという追っかけっこ。 でも、月が替わり、気分一新、また書いていこうと思っています。
8月はオリンピックで、それも深夜に決勝とかの生中継があったので、ずっと寝不足気味でした。世の中のコマーシャルに踊らされて、私も昨年の暮れにHDD付のDVDレコーダを買ったのですが、スポーツはやはり生でないと興奮しないので、録画したのはホンのわずか、負けたサツカーの試合ぐらいでした。
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2004.08.21
ココログからコメントスパム対策のメッセージが出ました。
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2004.08.20
コメントスパム対策について
お客様からご指摘いただいておりますコメントスパムへの対策につきましてご報告させていただきます。
本日 12:00、コメントスパムを排除する仕組みを強化いたしました。
ご報告ならびに対策実施が遅れましたことを深くお詫びいたします。
残念ながら、現時点で完全な対策が無く、試行錯誤を繰り返しながらの対策実施となっておりますことをお許しください。
今後も 継続して対策を実施してまいります。 対策実施の経過につきましては、順次ご報告いたします。
これからも、ココログをどうぞよろしくお願いいたします。
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ところが、8月20日の23時ころから、このメッセージに対抗するようにコメントスパムの攻撃が始まり、ほとんどすべての記事にコメントがつけられてしまいました。そのため、一時パスワードを設定し、ブログへのアクセスを制限せざるを得ないことになってしまいました。
今回はIPだけでなく、投稿者の名前も少しずつ変えてきています。
コメントには必ずメールアドレスを付けさせるとか、何とか対策はないものでしょうか?
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2004.08.16
先週からinternet casino というサイトからのコメントに荒されています。
必死にIPでコメント規制をかけていますが、追いつかない状態。どうすればいいのでしょうか。
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2004.08.08

先週、夏休みをとって里帰りをし、久しぶりに近江町市場へ行ってきました。最近、NTTドコモのコマーシャルで坂口憲二がFOMAで市場から動画を送っているシーンがありますが、この画像はそのシーンの辺りです。平日でしたがやはりここは活気があって、とても暑い日だったので、ところどころに氷柱が置いてありました。魚屋が多いので氷の需要は多く、近くには氷屋さんもあります。
金沢も県庁が北陸本線や北陸自動車道よりも海側に移転し、片町や香林坊などの昔からの繁華街は少し廃れてしまいました。金沢城の中にあった金沢大学は山の中に移転し、旧陸軍兵器庫の赤レンガの建物を使っていた金沢美術工芸大学も移転してしまいました。県庁の前にあった私の通っていた中学も郊外に移転しました。
郷里を離れて四半世紀、故郷はどんどん変わってしまいました。
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2004.07.29
10/30東京ドームにイーグルスを聴きに行ってきます。僕らの世代にとって、イーグルスは忘れられないグループ。ちょうど高校受験の勉強で深夜放送に聞き入っていたころ、ウエスト・コーストの音楽でありながら、あの切ないサウンドはとても耳に残っています。最初にイーグルスに惹かれたのは“魔女のささやき”。そして“デスペラード”がきてあの名曲“ホテル・カリフォルニア”。出だしのアコースティック・ギターの前奏、哀愁ただようドン・ヘンリーのボーカル、バックのドラム、パーカッションの一音一音までも心に響いてきます。
他にも、“言い出せなくて”とか“時は流れて”なんかも名曲だと思います。
あの時代は、今と比べ物にならないほど洋楽が広く受け入れられていたように思います。邦楽がアイドル路線で子供っぽく聞こえたからかもしれませんが、若い世代だけでなく、もっと上の世代や、逆に小学生までもカーペンターズとかビージーズとか、流行してましたよね。
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2004.07.26
斎藤貴男氏の「安心のファシズム」を読み終えた。氏の言わんとするところはなんとなく理解できる。ただ、ケータイにしても駅の自動改札機、監視カメラにしても、あまりに権力と一般大衆という単純な構図で捉えすぎてはいるのではないか、と感じた。資本の側も一枚岩ではない。メーカー間で激しい競争もあるし、淘汰される企業も多い。適者生存の「社会ダーウィニズム」も、生来差がある人間と優位な人間、といった単純な図式で割り切れるのか。
特に最終章の「安心のファシズム」あたりは、『ブッシュ妄言録』などからの引用ばかりで、あまり緻密な検証が為されておらず、表題倒れと言わざるを得ない。
それでも基本的な指摘は当たっていると思う。その1にも書いたとおり、不平・不満のはけ口としてパッシングやいじめが多発し、“癒し”として機能している。それを巧みに利用している一部の人間がいる、という事実。そして、そうした“癒し”を求める風潮は、かつてのファシズムと共通点が多いということ。
ネット社会の急速な発展が、国民の「自発的な」嗜好で広がっているということ、HPやblogのように個人が情報をどんどん発信しだしているということ。他方、残虐な犯罪が低年齢化している現実などを、もう少し丁寧に分析して理論付けて欲しかった。
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2004.07.25
昨日、7月の新刊として岩波新書で出ている斎藤貴男氏の『安心のファシズム』という本を買って読み始めている。岩波書店のホームページにある著者のメッセージには、
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ファシズムはそよ風とともにやってくる、という警句があります。独裁者の強権政治だけでファシズムは成立しません。自由の放擲と隷従を積極的に求める民衆の心性あってこそ、それは命脈を保つのです。
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と書かれている。まだ途中までしか読んでいないが、第一章でイラク人質事件に関する人質バッシングや「自己責任」論を取り上げている。こうした一部の人達の言動を、構造改革の名の下に鬱積した不満や不安を、だからといって権力にぶつけるには報復が怖いがために、より立場の弱い人にぶつけ、牙を剥くことによって内心を安定させている、と述べている。
バッシングやいじめ、ネガティブな側面ばかりを取り上げる週刊誌、あまりに不寛容な世論。私が前から感じていた最近の“世相”の居心地の悪さ。日の丸・君が代など、急速に強まってきたファシズムの匂い。そしてそれを後押ししているかもしれない「ネット社会」。この本には、そうした漠然とした不安感への一つの回答が含まれているような気がする。
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2004.07.23
昨日の朝日新聞の投書欄に、11歳の帰国子女の娘を持つ父親の投書が載っていた。
いじめを受けていた同級生を庇って反論した娘さんが、相手から反撃を受けたのに、周りの子供は一部始終を見てみぬふりをしていたこと、先生までもが「なぜ周りと同じように逃げなかったのか」と言ったこと、を取り上げ、不条理なことに目をつぶらないような環境作りを先生方に訴える投書である。
そういえば先日も小学生が同級生から恐喝をうけ、現金を取られていた事件で、両親が担任に相談したにもかかわらず、何の対応もとらず、事件発覚後の調査では、両親から相談を受けていたことすら「覚えていない」と言った事件があった。この事件のテレビのニュースのインタビューでは、そのクラスの児童が「あの先生は見て見ぬふりをしている」と話していた。
この投書では、娘さんが、海外で暮らした経験から『相手の意見を尊重する』、『ネガティブに物事をとらえない』、『間違ったことに対しては堂々と主張する』という国際社会で生きる基本姿勢を身につけていた、と書いておられる。確かに今の日本の社会は、この3つをみんな否定するような風潮が感じられる。
ネットの世界でよく見られることだが、他人の意見を尊重せず、「正論」に対しては書き込みの集中攻撃や「あぼーん」とか「厨房」といった単純表現で圧殺してしまおうとするような風潮がある。また、特定の個人に対するネガティブ情報を特集する週刊誌の存在や政党間の揚げ足取りの繰り返しもこうした風潮を助長しているような気がする。
上記の3つは、民主主義の基本でもあると思う。これがなければそもそも『議論』ということが成り立たないだろうし、多数決も多数派の横暴・少数派の圧殺になってしまう。 小学校の教育だけの問題ではなく、大人も一人一人が考えなければならない問題ではないだろうか。
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2004.07.21
昨日、帰りの電車の中で隣の人が読んでいた「日刊ゲンダイ」にこんな記事が載っていた。
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多くの納税者は釈然としない
ジェンキンスさん一家日本に住んで、どうやって生計を立てるのか。
この国には生活苦で自殺する人も多いし生活保護も満足に受けられない家族も沢山いる。これほどの手厚い待遇は法の下の平等に反していないか。
普通の人がやれないボランティア活動でイラクで人質になった日本人には費用を個人的に請求する一方で、こちらは豪華なホテルに滞在、病気治療も国民の税金から支出。これまで問題を放置してきた歴代自民党政権や官僚たちの自己負担で償うのがスジ。
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なんと心の狭い記事だろうか。
もしジェンキンスさんが曽我さんの夫ではなくて、一人の脱北者だったら、政府はこんな手厚い保護はしなかっただろうし、むしろ別の国へすぐに追い出しているだろう。でも、長く北朝鮮に拉致されていた曽我さんへの償いだとすれば、これは当然の措置だと思う。もちろん、生活苦で自殺する人や生活保護が受けられない人をできるだけ救うことも社会福祉の政策であり、必要なことであるが、だからといってジェンキンスさんを厚遇しすぎということにはならないだろう。両方やるべきなのだ。(もし、この記事がそうした社会福祉を忘れるな、と言っているのであれば理解できるが)
また、記事は、拉致を放置した原因を歴代自民党政権や官僚であると指摘し、彼らから取れ、といっているが、現実問題として拉致された当初の政治家や官僚はほとんどいないだろうし、無理がある。
「日刊ゲンダイ」は皮肉が利いていて面白い記事もあるが、『法の下の平等』まで持ち出すのは度を越していないだろうか。
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2004.07.10
巨人渡辺オーナーの「たかが選手」発言は、プログでも批判の嵐です。
彼の頭の中は、封建的な思想が残っていることに加え、“自分たちオーナーが長年知恵を絞り、プロ野球界のことを考えて周到に根回ししてきたのに、何も知らんやつは黙っとれ!”という意識もあるように思えます。
こういう体質は政治家や官僚が、国民のためを考えてやっているんだから、一部の人間がいちいち文句を言うな、という姿勢に通じるものを感じます。小泉さんの得意フレーズ「総合的に判断して」というのも同じでしょう。彼はさすがに「たかが国民」とか「たかが人質」とかとは言いませんが...
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2004.07.05
長崎の女児殺害事件で、ホームページへの書き込みが殺害の動機であったこと等をきっかけとして、最近、ネット社会の意味を考えるようになった。
私がネット社会に初めて触れたのは、まだインターネットが普及しておらず、Niftyがまだ“パソコン通信”と呼ばれていた平成3年頃である。もちろん今のようなFTTHやADSLはなく、1200bpsのモデムでダイアルアップ接続をしていた。当時のNiftyには「匿名性」はなく、IDを打ち込めばその人のプロフィールを見ることが出来るコマンドがあったように思う。使っている人は少なかったし、他のプロバイダとは繋がっていなかったため、同じプロバイダの加入者同士しかメールもできなかった。
やがて会社の中の何人かの人とHP(ホームパーティ)を作った。HPは特定の人だけが参加できるネット上の掲示板みたいなもので、その後やや参加人数や保存できる書き込みの量が大きく、管理用のコマンドも使えた“パティオ”に移行した。
会社の役員にパソコン好きの方がいて、まだ平社員だった私がメールを送ってHPへの参加を呼びかけたところ、入ってくれた。これは当時としては画期的なことだった。それまで、組織というのは幾つもの階層に分かれてピラミッドを形成しており、平社員の意見や提案は課長、部長といった幾つものフィルタリングを経ないと上には伝わらないのが当たり前だったが、役員と平社員が役職や世代・性別を意識せず直接やり取りできる場ができたことは、まるで革命が起こったかのようなものだった。
当時のネットの持つ威力として、企業の中の情報伝達を迅速化し、組織をフラットにする、ということが言われていた。また、社内のLAN上ではロータス・ノーツなどのグループウエアが脚光を浴び、単なる情報交換から知識・知恵の共有、ナレッジ・マネジメントなどの考え方も出てきていた。
やがてインターネットが普及し始めると、パティオからメーリングリストへと移行し、職場では会社の外部とのメールのやりとりも始まった。また、ホームページを持つ企業が増え始め、それは急速に個人へも波及した。そして昔からあった「掲示板」の世界が、“匿名”という性格を武器に一気に巨大化し、社会問題化しはじめている。
他方、こうしたネット社会に対応する教育や制度も徐々に整備されつつあるが、もっと根源的な理念とか哲学といったものが全然ついていっていないような気がする。
相手のリアクションが現実に即座に見えない、という世界の中での「コミュニケーション」、責任や恥・外聞といったものを忘れさせる「匿名性」。これらをどう捉え、それを現実の社会の中でどう位置づけていくのか、社会学的な考察は始まっているが、“あるべき”論的なものはまだ少ないように思う。
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2004.06.28
家の中に、なんとリモコンが多いことか。テレビ、ビデオ、DVDレコーダ、コンポ、エアコン、パソコン、空気清浄機。我が家の居間には7種類のリモコンがある。テレビとビデオ・DVDレコーダはそれぞれ1台で両方をコントロールできる機能が付いているが、スイッチを切り替えねばならず、なんとなく使いにくいので、結局専用リモコンを使っている。
1台のリモコンで全部制御できれば便利かな、と思ったりするが、やはりそれぞれに独自の機能があり、それ専用のボタンが付いているほうが便利かもしれない。最近、携帯で何でも出来るようになってきているが、少ないボタンでそれらを使いこなさなければならず、以外と使いにくいように思う。結局携帯で使っているのは、電話とメールくらいのものだ。
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2004.06.22
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昨日の日経夕刊「Y語辞典」・・・「やばい」
(正)危ない (若)素晴らしい
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いつの間にか「やばい」ことをすることが自己主張の一つとして正当化され、肯定的なニュアンスに変化したとのこと。今では「気持ちが強く揺り動かされるほど素晴らしい」という意味になっているらしい。
高校生の子供に聞くと、善し悪しの判断の入った言葉ではなく、“程度が著しい”といった意味で使われているようだ。
最近語彙が少なくなって、一つの単語をいろんな意味で使うようになっている。「超」なんていうのもそうだ。特に形容詞や副詞にその傾向が強いのではないだろうか。
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2004.06.15
「君が代」を強制することはどうか、と発言したPTA会長が周囲の圧力で辞任に追い込まれた。そのやり方が恐ろしい。
区議が電話で「時と場をわきまえろ。反省しろ」と怒鳴ったり、PTA副会長でもある教頭が「他の役員全員が一緒に仕事をしたくないと言ったら辞めるか」と尋ね、別室に待機させていた残り6人の役員を呼んで「一緒にやっていけない」と言わせたり、挙句の果てに「お子さんがいじめられるかもしれない」とは...
これでは恫喝であり「いじめ」である。言論に対する暴力だと思う。「君が代」の是非以前の民主主義に対する圧迫だろう。
国民の理解の得やすい、あるいは反対しにくい問題を取り上げ、その問題の結論だけを取り上げてそこに至るプロセスを無視する。結論がよければ、過程はどうでもいい、という考え方だ。こういう風潮が国民ひとりひとりの思考を無視するファシズムへの道だったのではないだろうか。
これは「君が代」問題に限らない。「テロ」が悪いから、イラクを叩け。テロリストの情報を得るためなら、捕虜を虐待しても構わない、というのと似ている。こういう風潮だから、「ネットでいやがらせされた、だから殺してしまおう」という短絡的なことになってしまうのではないだろうか。
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2004.06.06

今日、アテネ五輪の聖火が東京都内を回った。4年に1回のことなので、小雨の中を近くまで見に行った。聖火ランナーはオジサンだったけれど、伴走者や先導の白バイ、前後の車には外国人がたくさんいて、さすがに世界規模のスポーツの祭典だな、と実感した。
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2004.06.05
今朝の朝日新聞「私の視点」で、辛淑玉さんが“大衆の敵意「物言う弱者」袋だたき”という意見を書いている。イラク人質事件の被害者家族、北朝鮮拉致被害者家族会だけでなく、熊本ハンセン病回復者への宿泊拒否事件なども取り上げ、最近の「普通の人々」からの電子媒体によるバッシングについて、次のようにコメントしている。
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<以下、引用>
この社会では、「かわいそうな弱者」がじっと耐えている間は、大衆は涙を流して同情してくれる。だが、ひとたび弱者が声を上げ、政府や加害企業などに異議を唱え始めると、一転して「権利ばかり主張する」とか「感謝が足りない」といった激しい非難をぶつけてくる。
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こうした弱者への大衆の敵意は、匿名性の高いITの普及によるものだとし、『そのような敵意は、いくら積み上げても民主主義に不可欠な建設的議論や問題解決につながらない』と主張している。さらに、これが権力によって組織されるとき、『現代におけるファシズムの登場に、道を開く恐れすらある』と懸念している。
この最後の主張・懸念に対しては全く同感で、このブログの中でも何度もそうした不安を述べてきたが、引用部分の現状認識については、若干異なる感覚を持っている。それは、「かわいそうな弱者」が耐えている間、「大衆」は涙など流しておらず、全く無関心か、あるいは故意に目を背けているのではないか、ということだ。拉致被害者は20年以上も一部の人を除いて忘れ去られていた。イラクに行っていた高遠さんらのことも、事件になるまでほとんど誰も気に止めていなかった。ハンセン病患者や回復者はもっと長い間世の中から隔離されていた。
「大衆」が、弱者の上げた声によって心変わりしたのではなく、問題が表面化した段階で、最初から無視していた人達がバッシングしていると考えたほうが自然なような気がする。
だだ、ITを使って弱者をバッシングする人がいる一方で、最初から応援したり、「バッシング」に苦言を呈する人もいる。イラク人質事件に対する「自己責任論」が出たときは、ネット、特にブログでは逆に「それはおかしい」と発言している人が多かったように思う。
やはり、「バッシング」という一部の人達が作り出そうとする“風潮”に対し、自分で考えていろんな手段で意見をいうことが、ファシズムへの抵抗になるのではないだろうか。
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2004.06.04
asahi.comより
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地村さん夫妻、週刊新潮に抗議文 次男の喫煙記事で
福井県小浜市の拉致被害者、地村保志さん(49)、富貴恵さん(48)夫妻は3日、「週刊新潮」の6月10日号に掲載された次男清志さん(16)に関する記事について「全くの事実無根で、純粋な未成年のイメージを故意的に濁らされた」とする抗議文を市拉致被害者・家族支援室を通して編集長あてにファクスで送った。事情説明や謝罪、記事の訂正などを求めている。
記事は「16歳『地村家次男』の『喫煙』に困惑する警察」と題している。保志さんは「誤った報道により、拉致被害者支援に影響を与えないか強く危惧(きぐ)する。子供たちは精神的ショックを受けている」とのコメントを出した。
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また「週刊新潮」である。前にも書いたように、この週刊誌は人の心の中の“悪意”に取り入ろうとする傾向が顕著です。こんな雑誌やタブロイド紙がいっぱいあるから、個人情報保護法反対とマスコミが叫んでも、あまり世論が盛り上がらないのだと思う。
さらに、記事のネタとして拉致被害者の家族を使ったこともイヤラシイ。一番暖かく見守るべき人達であるのに、なぜ、こんな悪意に満ちた見出しで傷つけようとするのか。
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2004.05.31
イラクで亡くなった橋田信介さんの「イラクの中心で、バカとさけぶ」を一気に読み終えた。正義感とか平和とか、そういうものを期待して読むと全然当てが外れる。ほとんどがイラク戦争開戦の日から、フセインの像が引き倒された日までのバグダッドでの取材の記録である。そこには、大手のマスコミが安全のために撤退したなかで、戦場の映像を流すために駆け引きとサイコロの目による運命に従って行動する著者とその相棒の姿が描かれている。
唯一フィクションで書かれていて、著者の想いがはっきり見えるのは、最初の“ある「自爆者」の遺書”だろう。その中の「テロリストはまだまだたくさんいます。落とした爆弾の数だけ、新しく生まれたのですから。」という文章に戦争を始めた人、そしてそれを支持する人達に対する憤りが見える。
本のところどころに「命なんてものは、使うべきときに、使わないと意味がない」という著者のツブヤキが出てくる。イラク開戦からフセイン政権崩壊までのこの本の中では、この戦争の取材がそれに値するものなのかどうか、悩んでいる様子が見える。でも、その後、著者は自衛隊が派遣され、モスクがアメリカに攻撃されてイラクが混乱状態に陥った今、またイラクを訪れた。きっと「命をつかうべきとき」と感じていたのかもしれない。
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2004.05.30
今朝の朝日新聞を開くと、“自民「好き」上昇”という見出しが目に入った。世論調査の結果記事で、政党支持率も一緒に調査しているのだが、各政党の好きか嫌いかも5段階で聞いているらしい。
タレントに好感度調査があるのは、CMやドラマを作るときに誰を使うかの参考として使うのだろうと思うけれど、政党の好感度って何の意味があるの?一方で「マニュフェスト」でしっかりと政策を明文化し、国民と政党との関係が「契約」であることが意識されはじめてきているのに、「どちらかといえば好き」といったあいまいな感覚で世論を決められてはたまらない。
他にも「どの政党に投票しますか」という質問項目がある一方で、「議席が増えてほしいのはどの政党ですか」という項目もある。これも、主人公ではなく、「観客」として選挙をみるような考え方を肯定しているように思える。
三流ゴシップ雑誌ならいざしらず、天下の「朝日新聞」がやる世論調査だろうか?
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2004.05.29
イラクで亡くなった橋田さんの「イラクの中心で、バカと叫ぶ」が読みたくて、今朝から何軒も書店をはしごした。近所のそこそこの本屋はどこも置いてなくて、しょうがないから繁華街の大きな書店に行ってみようかと駅まで行く時に、駅前の小さな本屋を覗いてみたら、一番目立つところに“追悼”という手書きのポスターと共に一冊だけ置いてあった。それを手にとってレジに持っていったら、いつも無愛想なそこのオヤジが、「この人、イラクのことを一番よく知っていたんだよね」と話しかけてきた。
まだ冒頭の宮嶋茂樹、勝谷誠彦との座談会部分しか読んでないけれど、ハードボイルド系の他の二人と違って、「柳に風」のような氏の生き方が少しだけ見えた。
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2004.05.27
バッシングという言葉が使われだしてもうかなり経ちますが、何かをバッシングしていなければいられないような空気を作り出しているのは、週刊誌の中吊り広告ではないでしょうか。特に「週刊新潮」と「週刊文春」の見出しには、人を悪意でしか見ないような見出しが目立ちます。
ちなみに、今週の「週刊新潮」の見出しは、
〈ワイド特集〉芸能人の「梅雨入り宣言」
【1】大嫌いな「携帯メール」まで始めたヒマすぎる「久米宏」
【2】哀れ「反町」好感度1位の妻「菜々子」が偉く見ゆる日
【3】写真集で「6億円」要求したガメつい「ヨン様」
【4】「売り物」隠して前途がしぼむ「スイカップ」アナ
【5】「功労者」の声も出た「江角マキコ」復活の日
裏切られた「ブルーバッジ」
■「朝鮮総連」が作った「売国外交」のシナリオ
■「ジェンキンス帰国」を阻んだ娘2人の「反日思想」
■「曽我さん」北京で家族面会は「北のワナ」だった
■「蓮池薫さん」が鍵を握る「10人の爆弾情報」
■ やはり「道化」の役回りだった「山拓と平沢」
■「小泉擁護」で逆上した「田原総一朗」の醜態
■「子供の服装」で読む「最新ファッション」事情
■早くも「TVゲーム」に嵌まった「地村家次男」
■「ナゾの金杯」もあった蓮池家への「お土産一覧」
■アメリカにも見捨てられた「小泉政権」の寿命
ですし、「週刊文春」も、
外務省に「将軍様」と呼ばれた飯島ゴーマン秘書官
曽我ひとみさんが口にしない夫ジェンキンス氏への「複雑な思い」
蓮池夫妻が用意した「冬のソナタ」「イムジン河」
5人の子供たち「ファッションセンス」と「小柄な理由」
「家族会会見」途中で逃げ出した川口外相
スクープ入手山拓・平沢「お笑い日朝交渉日記」
となっています。もちろん、中身は読んでいないし、読む気もないのですが、電車の中や新聞の広告でこんな見出しを毎週見せられていると、他人との会話の中でも、つい、見出しで見たことを事実のように話してしまうことになってしまいます。
世の中の出来事を批判的に見て、裏に潜む意図を見抜くことは大切なことですが、何でもかんでも悪意に捉え、建設的な議論に発展しようがないような言論は、如何なものかと思います。
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2004.05.23

昨日、あいにくの霧雨の中、新宿御苑のバラを見に行ってきました。少し時期は過ぎていて、萎みかけていたものもありましたが、赤、白、黄色、オレンジなど様々な色のバラが咲いていて、こんなに色んな種類があるのかと驚きました。
ちょうど御苑内の「旧洋館御休所」も公開していて、中を覗いてきましたが、殿下用、妃殿下用、臣下用と3つも浴室がありました。なぜ、庭園の休憩所に浴室があるのか、それは、昔新宿御苑が皇室専用のゴルフ・コースだったからだそうです。
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カンヌ映画祭・男優賞に柳楽さん…史上最年少の受賞(読売新聞)
【カンヌ=恩田泰子】南仏カンヌで開催中のカンヌ国際映画祭は22日、コンペティション部門の授賞式が行われ、最高賞のパルムドールにマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー作品「華氏911」が選ばれた。
また男優賞には14歳と同映画祭史上最年少で、柳楽優弥さん(是枝裕和監督、「誰も知らない」)が獲得した。男優賞の受賞は日本人で初めて。
パルムドールに継ぐグランプリには日本の漫画を原作としたパク・チャヌク監督の「オールド・ボーイ」(韓国)が選ばれた。
押井守監督の「イノセンス」は受賞を逃した。
[読売新聞社:2004年05月23日 04時06分]
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昨日の「スマステ」でも、上映後のスタンディング・オベーションが25分も続いたと報じていたが、やはりアメリカ以外の国では高い評価なんですね。
日本では、いつ、何処が配給するのでしょう?
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